②不安
これはカネコアヤノ自身も雑誌などのインタビューでよく口にするワードだ。ストレートに不安を表現、というよりかは「眠れない」や「怖い」などこちらもそれに伴った普段の言動で表されている。
例えば前述した「恋の惑星」の「恋文」。
“周りの人たち早送りで私が世界で1人停止してるみたいな気持ちになって不意にあなたに会いたくなったの”
「燦々」の「明け方」では
”不安なまま朝を迎えてしまった だからギターを ギターを弾くしかなかった」
「タオルケットは穏やかな」の「眠れない」では
”時に鼓動は大きすぎて身体を揺らして 気づけば朝だ いっぱいいっぱいのたましい 集めても棘はなくならない ギリギリのハート“
とわかりやすく、また普段無意識に消化している瞬間を切り取って表している。
「自分だけじゃないんだ」と、冒頭に述べた安心感を感じられる一面だ。
③猫
最後に。猫である。
リスナーのほとんどは彼女が大の猫好きであることは周知の事実だと思う。
「燦々」のジャケ写には愛猫の日の出ちゃんが。
曲で言うと「腕の中でしか眠れない猫のように」がタイトルから猫が出てくるが実は歌詞でも表されているのだ。
例えば、
アルバム「タオルケットは穏やかな」の「気分」。
”野生に帰ることはもう今更無理さ“
では家猫が野生のサバイバル社会に戻れない様を人間の気分の上下に振り回される曲の一節に。
「燦々」から「ごめんね」では、
これはあくまで筆者の推測に過ぎないが
「君といつも遊んでたいだけ 単純な気持ちで傷つけたね」は猫側の視点で、戯れあっていて思わず牙、もしくは爪で傷つけてしまった猫の心情のように思える。
猫はかなり気まぐれで、まさにツンデレを体現した生き物だ。
繊細で普段から些細なことに気分を上下されてしまう人にはそれを羨ましいと思ったり、はたまたその気まぐれさ、無頓着さにハッとさせられたりする。
カネコアヤノは不安を感じつつ、猫と過ごす生活で心を守り、それを歌に表してるように思う。
・最後に
筆者はかなりのカネコアヤノファンである。
ライブにはほぼ毎回参加し、曲を生活の支えにしまさにお守りのように大事にしている。
リスナーの中には同じように心の遣り処にしている人の多いと思う。
その要因には上記した3点が共感を呼び、身近に感じることで安心感を感じていると筆者は感じている。
アーティストが自分の弱みを歌詞に表すことは簡易なことではない。
それをお守りにしてほしいと曲をリリースし続けるカネコアヤノを筆者は今後も応援するだろう。