①音源とまるで違う楽曲たち
これは決して悪い意味ではない。
バンドなどのライブで
「CDと同じようにきこえる」
という文言が褒め言葉として使われているのを何度も耳にしたことがある。
これは演奏技術やボーカルの歌唱力のレベルの高さであえて音源に近く演奏しているのだろう。
だがカネコアヤノのライブはCD音源とはまるで違う。もちろんバンドメンバーの技術、本人の歌唱力に疑いの余地はない。
あえて、違く演奏しているのだ。
カネコアヤノは2018年のアルバム「祝祭」から通常版に加え「ひとりでに」とついた弾き語り版をリリースしている。
こちらは息遣いやギターの弦が弾ける音など“生音”に近い音源となっている。
しかしライブとなるとカネコアヤノの命を削るかのような歌い方、表情、そしてバンドメンバーのシューゲイザーとも表現できる音の厚みを感じる演奏を体験することができる。
音が波になって全身を襲う感覚はリズムに合わせてノることすら忘れ、ただ呆然とする観客も少なくない。
これはライブでしか経験できないと思う。
②アレンジ
音源と違う。という点では①と同じかもしれない。
昨年の”タオルケットは穏やかなツアー“では同タイトルのアルバムに収録されている「わたしたちへ」の曲の長さは通常4:05。
しかしライブではアウトロをかなり長く演奏し7分近く演じた。
また「祝日」という曲はギターのエフェクトからテンポから完全に別バージョン。
ライブで最も盛り上がる「アーケード」は去年は音源よりテンポアップしより激しいロックソングになっていた。
これらはライブ版としてリリースされることもない。完全に現場でしか聴くことができないのだ。
③MCなし
これは良いのか?と意見が分かれそうだが、筆者は良い点だと思っている。
曲間にMCをするのが一般的だがカネコアヤノのライブはほぼMCがない。
過去に全くしてないわけではないが。(武道館では長めのトークをしていた記憶がある)
MCなしの何が良いか?
それは「曲に集中できる」ことだと思う。
もちろん筆者も含めファンたちは彼女のトークが聞きたいとも思う。歌っている時と話している時とでは話し方表情まるで違うこともカネコアヤノの魅力の一つだからだ。
しかし筆者はMCなしのスタイルはそれはそれで良いと思っている。
ぶっ通して爆音の曲を聴き続けていると息つく隙もあまりない。曲の余韻に浸ることもなくまた次の曲が始まる。
最後にはカネコアヤノが一言挨拶し颯爽とステージを後にする。
こうしてライブが終わる頃には皆が口を揃えて
「食らったなあ」と呟くのだ。
今年もカネコアヤノはツアーを行う。もちろん筆者も参加する。
ぜひこの感覚を味わってほしいと切に祈っている。